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ありありちゃん日記

ありありちゃん日記

その後・・・。

車をぶつけて以来、バックするときは必ず後ろを見るようにした(いまさらか、おい)。
代車が借りられず、雨の日は車通勤をこっそりやっていたのにできなくなってしまった。ということで、雨の日にはバス&歩きで保育園の送り迎えを含め片道2時間近くかかってしまった。毎日体力を消耗して、人に殺される夢だったり、トラックが人を轢いてその死人が笑っているようなありえない夢も見た。

仕事は人がいなくて休むに休めず、毎日出勤していた。
休憩30分の間に5分でとりあえずご飯を食べ、そのあとはギリギリまで休憩室の片隅で寝ていた。とにかく眠い、何でここにいるんだろう、何で仕事しているのだろう、何をしていてもおもしろくない、仕事をしている意味ってなに?とにかくなぜ生きているのかわからなかった。

引越しして10ヶ月、両親以外はだれも家に来ていない。というか来て貰わない事にした。つらい自分を他人にわかってもらおうと思わなかった。
できることなら自分の親にも会いたくなかったし、ましてや主人の両親なんて論外だった。毎週行っていた義父母の家にも3ヶ月以上行かなくなっていた。

そして2月、いつもよりはやく子供たちの雛人形を出した。タンスの上にガラスのケースのまま飾っていた。そして事件は起きた。
朝私はまなの声で起きた。起き上がってめがねを取ろうとしたとき目の前が真っ暗になり、そのあとどこかで<ガッシャーン>という音。
そしてあやの「痛い」という声で目が覚めた。見るも無残に雛人形のガラスケースは壊れ布団に飛び散っていた。そして下にはアヤの姿が。どうやら寝ているアヤの上に私が倒れてしまい鼻血を出していた。と同時に自分の頭にも血のあとが・・・・。
どうしたんだようとか思いながらも仕事に行かなくてはという気持ちが先走って、ガラスは大きいのだけを取り除きほかの小さいかけらは家に帰ってきてから片付けることにした。
このことを職場で話すと早退させられてしまい、主人も連絡を受け早退してきた。自分以上に大事になっていった。
一応脳神経外科で調べてもらったけど異常は見つからず、少しは安心。
でも、そこの先生に言われたこと。それは、
「普通の人なら3日間は眠りっぱなしの薬を1回でを飲んでいるようだけど、そのくらい飲まないといけないの?今度心療内科の先生に相談したほうがいいよ」
といわれた。ショックだった。自分の飲んでいるものがそんなものだったとは。

この時期は特に体が参っている時期でした。子供たちを保育園に預けたほうが子供たちにとっても良いこと、私にとっても、、、。でも、そうやって送迎することさえができないままでした。だから仕事が休みの日には一緒に休ませる。子供たちを部屋の中で遊ばせたまま何時間も眠っていました。家事をするにもやる気にならなくて、ちっちゃい掃除機を自分の寝ている範囲だけ、その部屋だけ掃除する。ご飯だってがんばってもご飯を炊くことしかできない。洗濯物だってたまるしタオルが足らなくなると最小限の洗濯をして
乾いてもたたむことはありませんでした。
ただただ時間だけが流れている、なのに自分はできないのだろう。昔は朝洗濯して休みの日には掃除だってしていたのに。いまはごみを出すことさえ重労働。最悪でした。


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